ブルートライアングル 1章

 彼女は青い皮のジャケットを白いロングスカートの上に羽織り、三角形のトルコ色のピアスをゆらして、女ではなく人間として大通りを歩いている。

 心の中にはいくつものシャッターがあって、その一つひとつが他人と対応している。シャッターを開くとこぼれだすのは言葉と身体だ。私はこころを開いて他人と会話をし、同様の感覚で人に触れる。

 若い肌に化粧けは少ないが、疲労が影を落としている。忙しいのだった。若さが有限であることなど知識としてとうに知っており、消費期限の前に使い切ってしまう心づもり。風を肩で切り、駅へ行く。

 

 心のシャッターを開く相手を間違えた、と痛切に感じていた。

 間違えたわけじゃない。他に選択肢がなかっただけだ。彼と分かり合えたという夢を見た。分かり合えたという錯覚を共有できる人なんて、ほんとうに稀有だった。分かり合えたと錯覚できる相手を持てたというだけで私はラッキーであり、そして私はそのラッキーに溺れた。溺れて、疲れて、シャッターを、ついうっかり必要以上に引き開けてしまった。

 

 好きな服を選び取れる自由を、彼女は楽しむ。ちょっと寄ったショップでプラスチック製の安いピアスを買って、ひょいと耳に付け替える。高校の制服の窮屈さがふいによみがえって、寒気が走る。容姿も個性も女子高校生という記号の前に溶かされていたあのころ。容姿に変更を加えるようなこと、パーマ、カラーリング、ネイル、そして化粧はすべて禁足事項だった。素材のまま、ただただこぎれいにこざっぱりしておくことに、なんの意味があるだろう。同じ服を着た、生のままの少女というのは、外から見れば互いによく似ているが、反面、同級生同士からすると素材の良しあしが哀しいほどはっきりわかってしまう。劣等感はむき出しのまま放置される。こぎれいにこざっぱりするのは、あくまで外から見た学校全体の評価であり、けして少女たち個人個人ではないのだ。

 ある日化粧をしていった。薄くして、青いアイシャドウだけ目立たせた。周囲の嫌悪の表情をはっきりと覚えている。上品で穏やかな教師が、私を教卓まで招き寄せて、お話があります、とささやいた。

 だけど、別に化粧している上級生がいなかったわけじゃない。私は自分がどうすれば悪目立ちしないで済んだのか、正確に知っている。友達を数人集めること。休日にストアへ行って、一緒にメイクを練習すること。最初は薄く、色付きのリップだけを学校にしていくこと。友達も誘うこと。見せびらかすこと。次はクリーム。次はファンデーション。次は…。そうやって徐々にエスカレートして、でも、けしてナチュラルの域を超えないこと。

 みんなと同じにすること。そして悪目立ちしない代償として、私は劣等感の海に溺れるのだ。みんなと同じでは、私の醜さが露呈するばかり。

 教師の言葉にはおとなしく、ええ、もちろん知っています、これに意味がないことは、とせいぜいうなずいておいた。二限目からは化粧の落ちた生の顔で授業を受けた。翌日、制服のスカートを長くし、三角形の穴をたくさん入れて、登校した。今までいた、数少なく、心も開いていない、かたちばかりの友達は、皆、潮が引くように消えていった。

 私は自分のささやかな改変を、誇りに思っていた。きれいになったかと言われれば否だが、少なくとも、同級生の中での、美しい、醜い、という評価軸から抜け出すことができたからだ。私に新たに与えられた評価は、「変人」であった。

 放校にはならなかった。成績が学年でトップだったせいかもしれないし、親が理事長と同大学出身だったことがなにか関係しているのかもしれない。気持ちが悪いな、と思った。親はほとんど何も言ってこなかった。その代り、制服のスカートを部屋に放っておいたら、いつの間にか新品のものと取り換えられていた。私はこれにも三角形のスリットを開けた。何度やっても、部屋のどこに隠しても、数週間すると新品のものがいつの間にか現れ、スリットを入れたものは処分されるようになった。おかげで裁ちばさみと裁縫道具の扱いがうまくなった。

 私は慣れた。たった一人でいることに。

 改変は怠らなかった。このころ開けたピアスの穴はまだ私の耳に残っている。開けた時の血の色を覚えている。私の世界はぞっとするほどちっぽけで、たいしたことはできなかったが、それでも十分だった。

 彼と会ったのはそんなころだ。